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行政書士 折本徹とは何者? ―挨拶文にかえて―
−   既に、1000人以上の方から相談を受けています   −



私、折本徹のプロフィールです。

昭和39年5月 東京に生まれる
昭和62年4月 城南信用金庫入職
平成7年10月 同上 退職
平成7年12月 行政書士開業

行政書士は、許認可・権利義務関係の書類の作成、代理申請を業としています。
取り扱う範囲が広いので、だいたいの行政書士は、業務を絞っています。
私は、開業した当初、建設業の許可関係の仕事を受託していました。
まだまだ、仕事が少なく、別の業務を増やしておこうと思い、外国人関係のことについて、勉強しました。
今後、外国人の入国は増えるだろう、と予想したからです。

平成10年の初頭からは、ともかく勉強しました。
有斐閣リブレの「わかりやすい入管法」
       「わかりやすい国籍法」
       「わかりやすい国際結婚と法」を読み、
その後、日本加除出版の「出入国管理法講義」
           「国籍・帰化の実務相談」
など、難しい本を始めとして読み漁りました。
更に、有志で作る勉強会にも参加しました。

で、「勉強もしたし、仕事を受託したい!」と思い、平成10年のゴールデンウィーク頃、
  • フィリピン
  • 韓国
  • 台湾
のコミュニティ誌に広告を掲載しました。
今、思うと、実務経験も無いのに無謀だなぁ、と思います。
だけど、韓国人、台湾人からの相談は、ほとんど無かったです。
でも、フィリピン人の場合、たくさんありました。
「Kumusta Ka!」「PINOY GAZETT」というコミュニティ誌に掲載したのですが、
2誌とも、行政書士では、私が始めて広告掲載をしたので、反響は凄かったです。
休日・祝日は問わず、毎日1件はあり、半年ぐらい続きました。
ただ、仕事の依頼は無く、電話相談だけでした。
しかしながら相談とはいえ、相手は真剣なので、私としても、手を抜けませんでした。
当初は、とても「専門家です」とは言えませんでしたが、これらの相談で知らず知らずのうちに
実力がついていくのと同時に、「人の役にも立てているんだなぁ」と実感しました。


とは言え、このホームページに公開できるぐらいのレベルに簡単に到達できるわけではありません。
それで、ここから先は、初期の悪戦苦闘振りから初めて仕事が受託できるまでを、振り返りたいと思います。
そもそも、行政書士には、申請者やその代理人に代わって、入国管理局へ申請できる申請取次ぎ制度が
あります。
現在は、講習を受講すれば、申請取次行政書士になれるのですが、以前は、講習を受講し、その場で
簡単な試験を受け、その後、入国管理局に面接へ行かなければ、申請取次行政書士になれなかったのです。
私の場合、平成8年に、上記のプロセスで申請取次行政書士になっていました。
ただ、申請取次ぎした経験も無く、ペーパードライバーみたいな申請取次行政書士でした。

お話は、平成10年から始めますが、改めて平成10年は、世間ではどういう年か?と言うと長野で冬季オリン
ピックが開催された年です。
又、グーグルが設立された年ではなかったかな、と思います。
インターネットについては、日本は、まだパソコン通信が主流の時代でしたので、黎明期の時代でした。
平成10年6月のある日のことです。フィリピン女性からオーバーステイに関する電話をもらいました。
この時点までは、フィリピンの人達とは、電話無料相談だけの応対でしたが、「会って話したい」との
ことなので、初めての面談での相談となったわけです。
会う場所は、平成10年6月30日PM5時、東京都内の赤羽根カトリック教会。
なぜ、赤羽カトリック教会?ですが、
当時、日曜日になると、礼拝のために多くのフィリピンの人達が集まる、
と本で読んでいたので、フィリピンコミュニティでは、有名、という
今にして思えば、誤った認識を持っていました。

当日ですが、約束の時間になっても、彼女は現れません。それで、一時間ぐらい待った、
と記憶があります。自動車でやってきました。
運転手はフィリピン人の男性。
「運転手は、いとこ」
「赤羽カトリック教会は、今まで、行ったことが無く、なかなか、辿りつけなかった」
と、彼女は、言っていました。
日本語は上手でして、
「以前、日本人と結婚していて、子どももいる。離婚した後、オーバーステイになった。
ビザが欲しいので、助けて欲しい。」旨のことを言いました。

一応、勉強はしていましたし、
過去に、何人かオーバーステイの人達の電話無料相談を受けていたので、
「日本人の未婚の未成年の実子を扶養する外国人親」になる、ということはわかりました。
これは、H8.7.30の通達でして、
例えば、日本人と結婚した外国人女性が、日本人夫と離別又は死別し、
二人の間に授かった未婚の未成年の子どもと引き続き日本で暮らすことを希望したときに、
滞在の道を開こう、というものです。

ただ、恥ずかしい話、平成10年当時、この通達での手続きと在留特別許可の手続きについて、
実務的には、ペーパードライバーだったし、更に、私自身が緊張していて、
「やべぇな、どうしたら良いだろう?」という状態になってしまいました。
彼女は、私の心境を察したらしく、又、資料は、家に置いてあること、
更に、この後、用事があるので(子どもが家にいるので)、すぐに帰りたいとのことで、
「改めて会おう」となりました。彼女は、足立区に住んでおり、7月15日、東武線の西新井駅で
待ち合わせをすることとしました。
当日、西新井駅に行くと、6月30日に一緒に来ていた、彼女のいとこ、というフィリピン人男性が、
自動車で迎えに来ていました。
彼は、さほど日本語が上手ではありませんが、話は通じることができました。
「彼女の住んでいるアパートに行く」ということでした。
アパートに到着し、彼と一緒に、彼女の住む部屋におじゃましまた。それで、前回の話の続きをしました。
現在、私の手元に残っている資料を見ると
・ 昭和63年5月に日本人と結婚
・ 平成1年4月に長男を出産
・ 平成2年5月に日本入国
・ 平成2年7月に次男を出産
・ 平成3年4月に離婚
・ 平成3年5月からオーバーステイ
その後、息子達をフィリピンの実家に預ける。オーバーステイになりながらも、働き、仕送りをしていた。
又、フィリピンの食品や衣料品、雑貨を輸入し、在日のフィリピン人相手に行商、配送して生計を立てていて、
生活が安定してきたので、
・ 平成9年9月に、長男だけを呼び寄せた
となっていました。
それで、日本人と結婚する前に、5回、エンターティナーとして、来日したことがあり、
その当時の(かなり、肌を露出している)写真を見せられ、
「こんな衣装で、踊らされたんだョ」と、彼女は言っていた記憶があります。
それで、ホステスもやらされ、離婚した日本人夫と知り合った、とも言っていました。

この資料は、彼女からの聞き取りなのですが、
昭和57年に、エンターティナーで初来日、書いてあるので、
昭和57年は1982年ですから、今思うと、かなり以前から、既に、エンターティナーの名のもとの
ダンサー・シンガー兼ホステスがあったのですね。

私が書類を書くので、資料を揃えてもらって、「入国管理局に出頭しましょうか?」という話をしました。
平成10年当時は、同業者でも、在留特別許可事案を扱っている人が少なく、
どういった書類を書き、どういう資料を揃えれば良いのか、
又、出頭した後、どういう流れになるのか、
といった情報が、現在より遥かに少なかった時代なのです。
(インターネットで検索、という言葉すら頻繁に聞かれる時代ではありませんでした)
ただ、事前に、同業者から書類一式のコピーをもらっていたので、なんとか対応しよう、成せば成る、
と思っていました。

すると、彼女は、「もう、(入国管理局へは)行ってきたョ」と言い、
更に「入国管理局から紙をもらったよ」と言いながら、
追加書類の提出について、と書かれた書類を見せてくれました。
「えっ」と思いましたが、その書類を読みました。
この書類には、
出頭者の名前、出頭した日、追加書類の項目の羅列などが書かれていて、
入国管理局の住所、電話番号等が記載され、押切り印が押されているものです。
要するに、この書類をもらえれば、「出頭した」という証明にはなりますが、
在留特別許可や仮放免許可になったわけでもなく、
又、自由な行動をすることの保証や労働許可したものでもなく、
単に、違反調査が開始されていることがわかるだけのものです。
追加書類を提出しないと、
調査が止まるか、
提出をしない、ということで、進められてしまい、出頭者に不利な結果になることは、
理解できました。
追加書類のなかに、アパートの賃貸借契約書のコピーがありました。
彼女に聞いてみると、もらえない、という感じでした。
住んでいる部屋は、彼女のいとこのフィリピン人男性が借りた、とのことでした。
彼に聞くと、「もらえないなぁ」と言っていました。
そもそも、彼も、又借り(転借り、ですね)しているようでした。

私は、どうしたら良いのか、わからなくなりました。
今思えば、改めて、契約を交わすか、又は、貸主からの居住に関しての同意書をもらい、
従前については、正直に入国管理局に伝え、家賃の領収書(銀行振り込みだったら、その控え)を提出して、
判断を仰げば良かったのでしょうが、平成10年当時は、そこまで、考え付かなかったです。

「出さないと、ビザをもらえないの?」と聞かれたので、
「たぶん」と答えました。
(やっぱり頼りにならないなぁ)という眼差しでした。

彼女が、入国管理局に行ったその日に書かされた書類は、英語で書いた、とのことなので、
「キチンと日本語で書くから、又、会おう」ということになり、この日は、これで終わりました。
しかし、数日後、彼女から、「諦めるから」との電話が入り、しばらくすると連絡がとれなくなりました。
それで、諦めて帰国したのか、別の人にお願いしたのかは、今も、わからないままです。
「希望を打ち砕いて申し訳ないことをした」と思い、又、「知らないで進めようとすることは、怖いことだな」
とも思いました。
更に、自分自身の力不足に、落ち込んでしまった一件として記憶に残っています。
しかし、相談を受け、キチンと回答しないと、自分自身の実力は上がらないことは自覚
していましたし、それに、「親切に丁寧に無料相談をしていこう、そうすれば、いずれ仕事に繋がる」
「このことをバネにして精進しなければ」「ともかく、一回、仕事を請けてみないと」と思っていたので、
めげずに無料相談をする日々を続けることにしました。
そうしたなか、やっと仕事を受託する機会が訪れました。
平成10年の12月ぐらいかと記憶していますが、Bさんというフィリピン女性から、永住者申請についての
電話相談がありました。こともあろうか「英語で必要書類を書いて送って欲しい」と言われ、
私もそこまでやる必要が無いのに、辞書を引きながら調べて、郵送してあげました(無料でした)。

そして、今度は、そのBさんから私のことを聞いたAさんが、私に電話をかけてきて、
「永住者のことで相談にのって欲しい」と言われ、Aさんに会いに行き、「日本人の配偶者等」の期間更新申請と
「永住者」の許可申請を、仕事として始めて受託したのでした。
実は、平成12年2月18日に、退去強制後の上陸拒否期間が1年から5年に伸長される法改正がありました。
平成11年から平成12年2月の法改正まで、かなりのオーバーステイ外国人が、入国管理局に出頭した時期
なのですが、Aさんからの受託は、まさに、この時期にあたる平成11年2月でした。
Aさんは、当時、在日フィリピン人で作るボランティア・グループのリーダーをしていて、それが縁で、
様々な悩みを抱えている在日フィリピン人達を、依頼にしろ、相談にしろ、随分紹介されました。

このあたりから、外国人関係の仕事が増え始め、ネットワークも築くことができましたし、仕事に限らず、
相談も積極的に受けていたので、その積み重ねとして、現在のように、ホームページに情報を公開できる
ぐらいのレベルになりました。
ただ、人の縁の不思議さを本当に感じます。Bさんに、英語で書いた書類を送らなければ、
Aさんとは縁が無かったでしょうから、外国人関係の仕事はしていなかったと思います。
外国人関係の仕事をしていて、改めて感じているのですが、依頼を受ける、ということは、
「その人達の人生」「その会社の社運」を一時的に預かっているのだな、と思っています。
勿論、依頼をしていただいた事案で、全部が全部、許可になったわけではありませんし、過去、
私自身の経験・知識不足のために、依頼人に迷惑をかけたことがあります。
依頼人は落胆しますので、「人生・社運を一時的にお預かりしている」ことを充分認識して、
仕事に取り組んでいます。「幸せになって欲しい」と願っています。
この文章を読んでいる人で、一人で手続きを進めようか、どうか、迷っている人もいる、と思います。
勿論ご自身でも進められます。でも、許可になるプロセスまで、孤独ですし、不安な気持ちにもなりますし、
途中で諦めそうになることは、覚悟した方がよいです。
私としては、少しでもその気持ちを取り除いてあげて、一緒に進める、という考え方です。
一緒に進めましょう。是非、ご検討ください。

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折本 徹 行政書士事務所

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